2017.9.10

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「気力が失せたとき」

秋葉正二

民数記21,4-9ヘブライ人への手紙 4,14-16

 モーセに率いられたイスラエルの民の脱出行が苦難の旅であったことはよく知られています。荒野の放浪ですから食料や水の確保は大変です。実際荒野の40年間には民の不満がいろいろな形で噴出しました。リーダーのモーセやアロンの苦労は記されている出来事だけに留まらず、並大抵ではなかったはずです。出エジプト記から申命記にかけて、その旅の顛末が記されていますが、そこにはとても信仰とは呼べないような古い迷信や慣習が民を支配していたことも分かります。現代から見ればばかばかしいと思える一種の偶像礼拝ですが、文明の発達というのはそうした慣習にもとづいて行動様式が歴史的に発展していくことでもあるわけですから、古いばかばかしいだけで片付けるわけにはいきません。

 まず、きょうのテキストの背景を地理的につかんでおきましょう。 聖書の巻末にある地図の2をご覧ください。「出エジプトの道」という地図です。右上に死海があります。その死海の西側にアラドとかホルマという地名が記されています。そこはカナン人の土地で、カナンの王がおりました。山岳地帯です。モーセたちは、きょうのテキストのすぐ前の1-3節を読むと、そこで彼らと一戦を交え、勝利し、その地をホルマ(絶滅)と呼んだと書かれています。

 しかし私たちはここで、これまでの民数記の話のあらすじを思い出さなければいけません。前にイスラエルの民は、カデシュ・バルネアで、不信仰になって約束の地に入ろうとしませんでした。そこで主は、40年間イスラエルを荒野でさまよわせて、彼らをさばかれたのです。そのとき彼らは、『主が言われたように、カナン人の土地に攻め入ろう』 と言いましたが、モーセは 『上っていってはならない。主があなたがたのうちにおられないのだ。あなたがたが敵に打ち負かされないように』 と警告しました。14章の終わりの部分に書かれています。

 それでも彼らは言うことを聞かず上っていきましたが、案の定山地のカナン人が彼らを追い出しました。1-3節でも、それと同じことを行なっているのですが、一方では彼らの願いは聞かれず、他方では祈りが聞かれています。この違いは、神が異なる取り扱いをなさっていることから来ています。

 また民数記11章から、私たちは、イスラエルの民が約束の地に入らないで、荒野をさまようまでの、彼らが死に絶えていく姿を読むことができます。そこでは、肉の欲望にかられ、不信仰に陥り、さらに反逆まで企てています。モーセとアロンでさえ、神の恵みを解せず、岩を二度も打ったりしました。これらすべてが、イスラエルの民が死んでゆく姿です。

 けれども、これが必要だったのです。なぜなら、彼らは死ななければ、新しく出発することができませんでした。イスラエルは、古いエジプト脱出組第一世代が死ぬことにより、初めてイスラエルは生きることができたのです。神さまは、死ぬことによって初めて命を与えるという法則を持っておられるかのようです。

 これはパウロがローマ書7章で、自に内在する罪に葛藤を覚え、古い人が死ぬことによって、初めてキリストにあって生きることができるようにしてくださった、と述べていることにつながります。私たちが自分を生かそうとすれば、神は必ず、それを死なせるように私たちを導かれます。私たちが死んだとき、そのとき神は、ご自分の命の御霊をもって、私たちを導いてくださいます。以前の私たちには、罪と死の原理が働いていましたが、救われた今は、命のみ霊の原理が働いていることを実感できます。この原理・法則を、私たちは荒野の旅の第一世代が死に絶えて、次の新しい世代の歩みの中に見出すことができます。

 いろいろ申しましたが、とにかく4節で、民はホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海(紅海)の道に旅立ちます。イスラエルは、エドムの地を通ろうとしましたが、それは既に阻止されていました。そこでエドムの地を迂回しなければなりませんでした。葦の海の道へ向かったということは、乳と蜜の流れる地とは反対の南へ向かったということです。

 先ほどの地図によるとアカバ湾岸のエツオン・ゲベルに向かうのです。しかし民は、途中でがまんができなくなり、神とモーセに逆らって言いました。『なぜ、我々ををエジプトから導き上ったのですか。荒野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力も失せてしまいます』。そこで主は民の中に燃える蛇を送られます。燃える蛇というのは毒蛇でしょう。蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死にました。民はモーセのところに来て言います。『わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください』。モーセは民のために祈りました。すると、主はモーセに言われます。『あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る』。モーセが一つの青銅の蛇を作り、それを旗竿の上に掲げると、蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと命を得た、とあります。いわゆる「青銅の蛇」の話です。

 興味深いのは、イエスさまが、ユダヤ人指導者ニコデモに、この話を引用して、ご自分の贖いのみ業を語られたことです。ヨハネ福音書3,14-15にはこうあります。『モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである』。旗竿につけられた青銅の蛇は、十字架につけられたイエスさまを表象しているかのようです。イエスさまは、十字架の上で罪を負われ、神さまから裁かれました。それは、罪によって霊的に死んでいる私たちが、新たに生まれ、永遠の命を持つためです。イスラエルの民が蛇を仰ぎ見たとき命を得た姿は、十字架のキリストを自分のものとして受け入れた私たちの姿でもあります。

 青銅の蛇を仰ぐ信仰については、いろいろなことが分かっています。最も有名な話は列王紀下18章3-4節に書かれています。南王国ユダの王ヒゼキヤの行動です。こうあります。『彼(ヒゼキヤ)は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタインと呼んで、これに香をたいていたからである』。

 つまり、分裂王国の時代、エルサレムの神殿では青銅の蛇が人々の信仰を集めていたのです。もともとエブス人の信仰対象であったものが、イスラエルに導入されたと考えられています。ヒゼキヤ王は偶像礼拝を文字通り破壊する現実的な行動にでたわけですが、実際はそれ以後も「救い」のしるしとして、人々に受け入れられていたことが先ほどのイエスさまの言葉からも窺えます。

 つまり、偶像礼拝はそんなに簡単にはなくならないのです。私たちは割合簡単に「偶像礼拝禁止」などと口にしますが、偶像礼拝の禁止については深く掘り下げて考えておく必要があります。偶像とは間違った神さまということですから、もちろん崇拝してはいけないのですが、よく考えてみるとたいていのものは偶像です。目に見えるもの、感覚・知覚で捉えられるもの、どれもみな偶像です。だから石像を拝んだり、誰か人間を崇拝しても、すべて偶像です。

 では本当の神さまをどうやって知るのか?旧約聖書はそのために預言者を登場させました。預言者が神と人との間に入って、神の言葉を取り次いだのです……すると、ようやく私たちは神さまと向き合えます。聖書の神さまは、出エジプト記3章14節でモーセに、『わたしはあるという者だ』 と語っておられます。口語訳聖書では 『有って有る者』 という訳でした。要するに神さまは「すべての存在の中の存在」だと言われるのです。

 この意味を皆さんはどんなふうに理解されておりますか?何かの存在を私たちは、普通見たり聞いたり触ったりして確認します。そうした存在を確認する私たちの認識方法からすると、偶像礼拝の禁止と一体のように現れる聖書の神さまは、究極的にはその存在を確認できない神さまなのです。旧約聖書では神さまに関してその存在を確認するうえでのすべての方法が禁じられています。モーセでさえ、まともに神さまは見られません。ユダヤ教やキリスト教から見ると、他の宗教が偶像崇拝みたいなことをやるのは、本来ならばその存在を実感できない神さまに関して、何とか人々にそれが存在していると思わせなくてはならないからでしょう。

 ユダヤ教は預言者の存在で神さまとの交わりを保ちますが、キリスト教信仰では神さまがイエス・キリストを私たちの世に送ってくださいました。このイエス・キリストの姿、生き様を私たちは聖書を通して知り、祈りによって神さまと対話できます。キリスト教はそれがすべてと言ってよいでしょう。イスラエル民族の荒野の旅の一場面から私たちは神さまとの繋がりに導かれています。何よりもイエスさまご自身がこの物語を知っておられたことは、私たちがこの物語を無駄には読んでいないということです。日々、イエスさまの言葉や活動に触れ、神さまに心から祈る生活を確立したいものです。お祈りします。


 
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