2018.06.24

音声を聞く(MP3, 32kbps)

「神は異邦人をも受け入れた」

秋葉正二

イザヤ45,18-24使徒言行録11,1-18

 使徒言行録は大きく二つに分けられます。前半12章までがペテロを中心とした伝道記録で、後半13章以下はパウロ主体の活動です。その前半ですが、9章の途中からユダヤ人への伝道活動が、異邦人への伝道活動へと切り替わっていきます。それはエルサレム教会から開始された福音が、少しずつ他の世界へと広がっていく最初の兆候でした。ペテロの伝えたキリスト教がすでに異邦人を含めた伝道へと質的な切り替えの準備に入っていたと言えます。ユダヤ人にとって異邦人と言えば、当初は宣教活動の対象になるなどとは到底考えられなかった存在です。その異邦人がいよいよ教会の伝道活動の中心になるべくスポットライトを浴びていくわけですから、使徒言行録は実に動的な動きの激しい変化のある書物と言えます。

 10章ではローマ軍の百人隊長であるコルネリオスが登場して、まさに異邦人伝道の火蓋が切って落とされたという感じがしますが、エルサレムに戻ったペテロには早速ユダヤ人信徒の避難を浴びることになります。ユダヤ人以外の異邦人がカイサリヤで悔い改めてキリスト教の教えを受け入れ、イエス・キリストによって神を信じるようになったという知らせは、エルサレムのユダヤ人たちには結構ショックなことであったようです。ユダヤ人たちは割礼を重視していましたから、ペテロが異邦人と食事を共にしたことを2,3節で詰問しています。

 割礼はもう皆さんもご存知だと思いますが、男性器の前の皮である陽皮を切開する生理上の外科的処置です。イスラエルの民は紀元前の世にバビロン捕囚という大変な試練に遭遇していますが、その折捕囚民として移されたアッシリアとバビロニア地方の住民にはこの習慣がなかったので、イスラエルの人々は割礼を神の選民のしるしとして、重要視するようになりました。まあそれが儀式化していったわけです。

 とにかくそういうわけで、ペテロの時代には、割礼のしるしがあることと、神を信じることが一つになっていました。割礼を行い、そのしるしのある者は、正しく神を信じている、という具合に図式化されていたと言えます。それだけでなく、無割礼の者は、申命記を根拠に(申命記14章3節)、「清く無い物・汚れた物」を食べている者とされていたので、そんな人たちと一緒に食事したら神の前に汚れた者となる、となったわけです。こうした非難に対して、ペテロは丁寧に説明を始めています。4節から16節までそれが続きます。

 信仰の世界にはちょっと危険な面があって、一度信じると容易にそこから離れにくくなるという傾向があります。ですからエルサレムの信徒たちは、割礼なしに神を信じるということを考えることはできなかったのです。割礼こそ神に選ばれた者の伝統的なしるしでした。ペテロにもそうした傾向はあっただろうと思います。しかし彼は伝統的な考え方に対して、それを破るために理屈を述べませんでした。知識を振り回すということをしなかったのです。

 この態度は教理的な頑迷や偏狭に陥った時に大事なことだと思います。日本基督教団の中でもこれまで信仰告白や使徒信条の理解をめぐってさんざん激しいぶつかり合いをしてきましたが、そうした時私たちはいつの間にか頑迷と偏狭のとりこになりやすいのです。そのような時には、ペテロのように一つの事実をもって向き合うことがとても大事なことのように思われます。

 もし私たちが知識や理論によってのみ、伝統に立ち向かおうとすれば、それはおそらく単なる伝統の破壊で終わってしまうように思います。私たちは新しい道を切り開き、新しいものを産み出さなければならないのです。伝統的な立場は本来固く狭くなりやすいものです。そこに新しい方向を与えるのが私たちのなすべきことでしょう。様々な事実を積み重ねてきた自分の信仰経験を生かすことができるかどうかです。そうした態度の模範としてテキストのペテロの対処は理解できるのではないでしょうか。

 今教団のある立場を強く主張する陣営は、聖餐理解をめぐり頑迷と偏狭の谷間に落ち込んでしまった状況にあるのではないでしょうか。本来聖餐論も自由に論じ合ってこそより豊かなものになると私は思っていますが、論じ合うことを頑なに固守して自らの側で作った規則を盾に話し合おうとする提案を拒否し続ける姿勢はやはり一つのぬかるみにははまった状態だと思います。人間に絶対はないのですから、自分がどんなに固く信じていたとしてもそれを教理的に知識として裏付けるだけでは結局反対の立場を主張する側を問答無用で排除するしかなくなると思うのです。

 このテキストに照らし合わすならば、それはペテロのとった態度ではないと思います。もとより憲法として定められた教憲には幅があります。信仰理解には幅があるからです。それを教規というより細かな規則で補完しようという考え方で教憲・教規はできていると思いますが、そこには多様な考え方が生まれる素地がもともとあるのです。もしその思想信条の多様性を大切にしないならば、教憲・教規はやがて厄介な飾り物みたいな存在になっていくのではないでしょうか。

 9節には、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』 という言葉がありますが、これはペテロが祈っている時に、幻を見ながら天の声として示されたものです。また18節には、『神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』 という言葉も記されています。  これは自らの信仰体験を語ったペテロの言葉を聞いた人たちが、思わず静まってしまった時に彼らの口からでた言葉です。

 その後、彼らはここから賛美へと導かれています。これは言わばエルサレム教会の教憲・教規と言ってよいものでしょう。これは後の教会が知識を総動員して定めた教理とは質が違います。言うなれば、百パーセント信仰体験から産み出された素朴な表現です。時にはこれが重要なのです。そもそも有限な人間が作成したものに絶対はありません。そのことを信仰世界の中でも、私たちは忘れてはならないと思います。そういう意味で、今年度私たちの教会がやろうとしている皆さんの「証し」のプログラムは大切なものです。それは理屈ではなく体験だからです。使徒ペテロの身の処し方を忘れないようにしたいと思います。祈ります。


 
礼拝説教集の一覧
ホームページにもどる