2018.08.19

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「ぶどう畑の歌」

秋葉正二

イザヤ書5,1-7使徒言行録13,44-52

 「ぶどう畑の歌」という題からは、文学作品を連想しがちです。確かにほとんどは詩の形ですし、預言者は『わたしは歌おう』と初めにありますから、この詩に触れた会衆は一緒に愛唱したことも考えられます。しかしこの歌の背景にあるのは、紀元前8世紀後半のイスラエル分立王国をめぐる政治的な状況です。それゆえ、「ぶどう畑の歌」を理解するためには、おおよそでいいのですが、どうしても時代背景を理解しておくことが必要です。

 まず聖書巻末の地図1を見て、大雑把な地理を頭に入れてください。8世紀(B.C.)中頃、チグリス川上流地域を支配していたアッシリアに、ティグラト・ピレセル三世と名乗る王位簒奪者が登場します。王位を奪い取った人物ですから、やり手だったのでしょう。彼は当時の近東世界を俯瞰して、アッシリア大帝国構想を思い描き、その実現に向けて着手しました。メソポタミアからシリア・パレスチナを経て、エジプトに至るまでの全地域を一つの経済圏として設定し、そこに安全な交通路を確保し、物資を流通させ、莫大な経済的利益をあげて大帝国を建設しようと目論んだのですから、切れ者です。高校時代に学んだ世界史では、その地域を「肥沃な三日月地帯」と呼んでいました。もちろんその支配を実現する土台は強力な軍事力です。こうした時代の流れにイスラエルの南北両王国は巻き込まれることになりました。

 実際にアッシリアはダマスコからガリラヤ北部を経由して、地中海沿いに軍事侵攻し、エジプトまで軍を進めています。預言者イザヤの活動は約40年に及びますが、その最も初期の時代、彼の召命からシリア・エフライム戦争が始まるまでの5年間がテキストの時代背景として考えられています。シリア・エフライム戦争というのは、アッシリアの軍事侵攻によって次々と支配下に追いやられていったパレスチナ近郊の国々が軍事同盟を結んでアッシリアに反抗した戦争です。エフライムという名前から分かるように、北王国イスラエルはシリアなどと結んでこの戦争に加担しました。放っておけばどんどん侵略されていきますから、小国が結束して抵抗した理由は分かります。

 けれども、大事なことは、どういう外交戦略を具体的に進めるかということであり、すぐ戦争体制に乗っかるというのはとても危険なことでした。イザヤは南王国ユダの王に側近として仕えたブレーンですから、外交に対してはその中心に確固とした信仰的視点を持っていました。近隣諸国の流れに乗っかって戦争に踏み出すことに慎重だったのです。信仰的視点を抱いていたと言いますと、平和主義を掲げるある種の理想主義者かと思いがちですが、そうではありません。複雑な国際状況の渦中で、王の軍事戦略ブレーンとしても身を置いていたわけですから、彼はれっきとしたリアリストだったと私は考えています。

 南王国ユダはイザヤが召命を受けるまで、ウジヤ王の長い治世があり繁栄していましたが、彼の死後、既に時代の大転換が始まっていたのに、ユダとエルサレムの支配階級はそれまでの繁栄の夢から醒めることができず、貧しい人たちを抑圧して、傲慢な生活を送っていました。そういう時代に召命を受けたイザヤは、まずエルサレムの宗教的な堕落、支配階級の堕落を批判しました。支配者の傲慢に対して預言者は神の審判を語りますが、その審判の理由を歌い上げたのが、きょうのテキストである「ぶどう畑の歌」です。

 一応背景の時代状況を簡単にですがのべましたので、テキストに入って行きましょう。この歌全体を通して、エルサレムに下される審判の正当性が明らかにされていきます。審判を招いた原因は、エルサレム自身にあるのだということが告げられるのです。この点はとても重要です。1節は導入部分で、〈わたし〉とあるのは預言者です。〈わたしの愛する者〉は、その預言者の親しい友だちでしょうか。つまり親しい友だちの所有する「ぶどう畑の歌」を歌おうというわけです。1節後半から2節にかけて、その「ぶどう畑」についてのいきさつが述べられます。

 「ぶどう畑」は肥沃な丘にあって、よく耕された畑には真ん中に見張りの塔があり、酒ぶねが掘られていました。見張りの塔というのは、泥棒や害獣が侵入しないように見張る場所です。酒ぶねというのは、絵で見た方もおられると思いますが、岩盤を加工したぶどう踏みをする場所で、要するにぶどう酒を製造する場所です。ぶどうを足で踏むと、ぶどう液がその先に掘られている幾つかの液槽に上から下へと流れていきます。狭い隙間を通って流れていく過程で少しずつ不純物が取り除かれていきます。ということですから、ここには立派なぶどう畑の様子が描かれていることになります。「ぶどう」を譬えとして引用するのは旧約聖書ではお馴染みですし、何よりもイエスさまが何度も引用されていますので、イスラエルの人たちにとっては非常に分かりやすい題材でした。

 さて3節になると突然文体が変化しています。エルサレムとユダの人々に向かって、『さあ、わたしとわたしのブドウ畑の間を裁いてみよ』と言うのです。「裁いてみよ」というのは論じ合おうという意味も含む一種の問いです。そう言うのは、ブドウ畑の所有者の物言いです。所有者が神さまであり、ぶどう畑がイスラエルの民を表していることがはっきり見えてきました。神さまから問われているのですから、聞き手であるエルサレム住民やユダの人々は、もう美しい歌に聞きほれていることはできないわけです。4節では、酸っぱいぶどうが実ってしまったことの責任は、所有者にはまったく無いことが強調されています。良いぶどうは、もちろん甘く艶やかで、酸味もほどよくバランスがとれていなくてはなりません。良いぶどうでないと、良いぶどう酒はできません。

 そして所有者は5節から所有者自身の決意を宣言し始めます。まず5節、エルサレムの住民に対する審判の比喩です。『囲いを取り払い、焼かれるにまかせ、石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ…』とあるのを読みますと、城壁によって囲まれたエルサレムが、外敵によって破壊される光景を連想させます。こうなるとエルサレムに下される審判が厳しいものであることが暗示されていることになります。6節になり、『わたしはこれを見捨てる』とか『雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる』という言葉を読みますと、ぶどう畑の所有者がはっきり神さまであることが分かります。そして最後の7節で、預言者は「ぶどう畑の歌」を解き明かします。「イスラエルの家」は北王国ではなくて、「ユダの人々」を指しています。せっかく主なる神さまがイスラエルを特別に選んでくださり、ユダはぶどうの木とされたのに、ユダは神さまが求められる社会秩序である「裁き」(ミシュパート)や「正義」(ツェダカー)を確立しなかったので、審判が下されるということが明確に示されています。

 私たちはこの裁きミシュパートと正義ツェダカーを確立するとはどういうことなのかをしっかり理解し、自覚しておく必要があります。ヘブライ語ミシュパートは、一般的に「裁き」と訳されますが、旧約的思考としては神と神の律法に根拠づけられます。神ご自身が至高の裁き人として、個人や民族の生活上の罪と過ちとを罰します。

 彼あるいは彼らの罪は続く8節から23節に具体的にリストアップされていますので、よく分かります。貪欲とか遊興とか不信とか自己慢心などです。預言者はそうした姿を鋭い信仰的観察眼で捉えています。信仰生活に隙が生じると、人は高ぶり、偶像礼拝やこの世の富や権力に目を奪われていくものです。エルサレムに代表される都市貴族の横暴は目を覆うばかりだったのでしょう。貴族が土地を独占して富を収奪する一方で、困窮した農民たちは干ばつや大地震などで一層塗炭の苦しみに喘いだわけです。当然預言者はそこに神の審きを告げます。

 正義と訳されているツェダカーはどうでしょうか。ツェダカーは正義と訳されていますが、現代用語の正義とはほとんど対応しません。旧約世界では、基本的に律法に即した行為とそこから生じる救いを意味します。それゆえツェダカーは処罰行為の用語としては使われません。正しい行為とは、イスラエルという神の契約共同体に対して遂行されるものだからです。ですからそれは必然的に救いに満ちた状態を導き出し、戦争や訴訟における勝利として表現され、同時にイスラエルの安寧と豊穣としても表現されます。預言者はイスラエルがこのツェダカーを放棄してしまっていることを嘆いているわけです。

 神さまが預言者を召し出されたわけは、堕落したエルサレムの支配階級に対して警告を与え、真実な内容を失いかけていた祭儀を批判し、厳しい国際情勢の中で王と政治的指導者に適切な指針を与えることであったと思いますが、預言者イザヤの根本にあるのは、神さまの支配に対する確信です。彼は混乱のさ中にあっても、人間の力ではなく、神さまの約束を信頼すべきことを説き続けました。混乱の時代にあっても、神さまへの静かな、しかし揺るぎない信頼こそがキリスト者の歩むべき道であることを示してくれています。これは現代にも通用すると思います。祈ります。


 
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