2018.08.26

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「復活の神秘」

秋葉正二

列王紀上3,4-15コリント一 15,35-52

 きょうのテキストは、ローズンゲンのテキストが毎年重複していますので、教団の主日聖書日課から選びました。「究極の希望」というテーマの中の一つのペリコーペです。もう一つの選択理由は、昨年来私たちの群れは次々と四人の兄弟姉妹を天に送ったことです。親しい主にある兄弟姉妹方の死を前に、もう一度しっかり死を乗り越える信仰を学びたいと思いました。「コリントの信徒への手紙一」15章はパウロが復活について論じた箇所で、一種の神学論文のような印象を受けます。しかし手紙ですから、コリント教会の人たちに想いを馳せながら、復活について伝えたいことを気概を込めて彼は書き送ったのでした。

 パウロは「キリストの復活」から説き起こして「死者の復活」について述べ、「復活の体」で締めくくっています。きょうのテキストはその終わりの部分で、「復活の体」と小見出しがつけられています。私はパウロと復活と言いますと、すぐにアテネでの出来事を思い出します。トロアスで幻に導かれてヨーロッパに渡り、勇んでアテネ伝道に着手したパウロは、アテネの哲学者たちに手痛い目に会わされています。それは使徒言行録17章16節以下にその際の顛末が記されていますが、パウロはユダヤ人会堂や広場で毎日精力的に論じ合っていました。パウロが述べ伝えていたのはイエスと復活についての福音であったと書かれているのですが、どうもこれに対して哲学者たちは、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」とか「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」とか言いながらも、より詳しくパウロの主張を理解しようと考えて、アレオパゴスに連れて行ったのでした。

 そこでパウロはアレオパゴスの真ん中に立ってあの有名な演説をするのです。パウロは神様とイエス・キリストについて熱心に語った後、その締めくくりでイエスさまについてこう言っています。『神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです』。この「死者の復活」という言葉を聞くと、哲学者たちはパウロを「あざ笑い」、ある者は『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言ったと書かれています。つまり誰も真剣にパウロの話に耳を傾けなかったのです。挙句に「死者の復活」という言葉を聞いて、彼を馬鹿にしました。その結果、パウロはアテネを立ち去り、早急にコリントへ向かっています。アテネ伝道が失敗したと言われる所以です。

 私はこの時、パウロの伝道者としてのプライドは大きく傷ついたと思います。これは私の推測ですが、パウロはこの時の屈辱をずっと忘れなかったと思うのです。それ以来ずっと彼の心の底にはギリシャ人に復活信仰を伝えることが大きな課題として、澱のように残っていたのではないでしょうか。そうだとすると、コリント教会の人たちにきちんと復活信仰を理解してもらうことは、その宿題をやり終えることになります。コリント教会の人たちへのアドバイスは、それまで実際の教会生活上の指導が中心ですが、復活を取り上げるとなると、一気に福音信仰の急所に触れることになります。

 コリント書簡の中できょうのテキストを含む15章は、一見浮き上がっているようにも感じるのですが、実は書簡全体の中心ではないかという気もするのです。パウロにとって復活信仰は彼の福音理解の中核をなしていたと思います。もともとパウロはファリサイ派の一人として、サドカイ派と復活をめぐって対立していたことも考えていいでしょう。サドカイ派は死後の生命、魂の永世、体の復活を否定していたと言われていますから、彼らとのかつての対立関係も関わっていると思われます。

 多くのギリシャ人たちはある種の現実主義者と言いますか、復活については懐疑的でした。コリント教会の人たちの多くはギリシャ人ですから、そうした影響を受けていた、あるいは受けやすい人がいたのでしょう。ギリシャでは肉体と霊の分離は当たり前のことでしたし、死後、霊魂は肉体から分離するという考え方が一般的です。霊が上位にあって、肉は蔑まれる対象です。ところがキリスト教は霊肉一致ですから、当然対立します。パウロがこの書簡を書いたのは紀元54年頃と見られているようですが、すでにその頃新興宗教であるキリスト教は、共同の信仰告白を持っていたようですから、パウロとしてみれば、そこに掲げられた復活信仰を意識していたかもしれません。

 もちろんイザヤ書53章ホセア書6章などの旧約聖書における復活信仰も考えていたはずです。それともう一点、私が思うことは、紀元54年頃といえば、イエスさまの復活からまだ2,3十年しか経っていなかったということです。復活を経験した人たちが生きていた時代なのです。これは大きなことでしょう。そのことを15章の初めの部分、「キリストの復活」の中でパウロは力を込めて書いています。ペテロや使徒たちだけでなく、500人以上の兄弟たちに復活されたイエスさまが同時に現れた、と言っていますから、証人がたくさんいたということです。

 テキストの最初に 『死者はどのように復活するのか』 とありますが、これを説明するためにパウロはまず麦粒を例に挙げます。イエスさまもヨハネ福音書12章でギリシャ人がイエスさまに会いに来た時、『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである』 とおっしゃっていますが、パウロも麦粒を引き合いに出しました。種は土に蒔かれて一度死に、やがてそこから新しい命が芽生えて来ますが、一粒一粒に新しい体を与えるのは神さまの御旨だというのです。

 それぞれの種に固有の体が与えられることを示しながら、42節から44節にかけて、死者の復活もそれと同じだと主張しています。つまり蒔かれた種が一度死んで、やがて全く別の新しい姿で芽吹いてくることを、人間の地上の生と復活の生に重ねているわけです。種が蒔かれて一度朽ちるように、人間の地上の生も一度朽ちるのだと言っています。生来の体である地上の生が、自然の命の体として朽ちることを指摘し、これが復活の生として、朽ちないものとして甦る、という説明です。朽ちるものである自然の命の体は、やがて朽ちない体に変容するということですが、パウロはそれを神様の奥義として語っています。

 51節から52節にかけて、そのことを終末は間近いという理解を交えながら、独特の表現で神様の秘儀・神秘性を表しています。それが、『わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません』 とか 『わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます』 という表現です。生存者の変容と死者の復活は終末時における神様の秘儀という行為なのです。パウロにおいては、復活は単に霊魂ではなく、実体として、物体的に理解されています。パウロの言いたかったことは、この世と来るべき世との間の断絶である、とも言うことができると思います。

 私たちにとって復活が理解しにくい理由の一つは、復活者の状態を地上的な、すでに死んだ人のもとの体と同じ状態で復活すると想像して、そんなはずはないだろうと想像するからではないでしょうか。復活とはかつての状態への回復ではないでしょう。パウロは、今の状態とは異質の新事態として新しい体へ移行するのだ、ということを言いたかったのだと思うのです。彼はそれこそ私たちの現在と、やがて来る日との間の本質的な違いを、霊と肉の間の対立でも捉えています。

 私たちの内的命の在り方は、私たちの体の姿形とも対応してしています。生まれつき自然に備わっている体の諸器官が、肉を道具として役立てているわけですが、神様はその肉よりもさらに大いなるものを私たちに与えます。それが神様の霊です。神様の霊を与えられたときに、私たちの体は、自己追求の衝動から他者への愛に向かうように変えられます。肉の体を持っていることは、霊の体を受け取る条件でもあります。今ある霊と体の分裂は、永久的なものではなく、やがて終わるのだということを、パウロは復活の出来事において語っているとも言えるでしょう。

 ですから復活はパウロにとって希望です。人間はそのままでは、神の国を継ぐことができません。肉と血は、神の国を継ぐことはできないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことはできません。パウロは51節で、私たちに向かって 『わたしはあなたがたに神秘を告げます』と言っています。これは 「あなた方に奥義を告げよう」 ということです。私たちは誰でも死にますが、地上の生の状態はそのまま保存されはしません。むしろ、すべては死が体を破壊した者であろうと生きている者であろうと、例外なしにその本質の変貌に出会うということです。私たちはパウロの言葉に従えば、地上の状態に何か希望を抱くことから完全に解放されるということでしょう。私たちは現状の永久保持を願ったりするよりも、はるかに大いなることを願うべきでしょう。神様の御力は私たちの本質を変える力を持っています。

 パウロの表現によれば、神様はラッパが鳴ると同時に、新しい本質を突如として私たちに与えてくれます。このラッパこそ、神様が私たちのために備えられた永遠の教会に属するキリスト者を目覚めさせ、招集する天上からの召しです。私たちは復活の正しい理解のもとで、この15章の終わりにある通り、『動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励む』 べきです。15章の最後のパウロの言葉は、復活信仰が私たちの日常生活を支えていることを 『あなたがたは知っているはずです』 と呼びかけています。『死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか』 ……『わたしは日々死んでいます』 というパウロの信仰上のモノローグが聞こえてくるようです。

 もう30年ほど前になりますが、鹿児島の鹿屋市にある国立ハンセン病施設星塚敬愛園の金曜集会を担当するようになったことが機縁で、私はハワイのモロカイ島にあるハンセン病施設を訪ねてダミアン神父の足跡を辿ったことがあります。 そこで得た確信は神父がモロカイ島の患者たちを心から愛していたこと、復活を信じて生き抜いたことの2点でした。 この世には復活の信仰により復活の命を生き抜いた人が何人もいます。 その人たちの生き様は私たちにもまた復活の力を与えてくれます。 祈ります。


 
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