2018.10.21

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「エルサレムからサマリアへ」

秋葉正二

民数記27,15-23使徒言行録8,5-8、14-17

 テキストは福音がエルサレムからサマリアへ告げ知らされてゆく件です。エルサレムに誕生した教会が、どのように福音を周囲に告げ広めていったか、その顛末の一端をきょうのテキストは語っています。きょうはテキストを分断して示しましたが、抜かした9-13節は文脈から言えば、付随的に挿入された物語と言え、魔術師シモンなる人物の受洗物語です。けれどもきょうの学びの視点からすれば、この部分は別扱いにしてもよいと思われ、切り離しました。

 またすぐ前の7章にはステファノの殉教記事があります。キリスト教の最初の殉教物語です。エルサレムの原始教会には二つのグループがあったことが分かっています。一つはヘブライストと呼ばれたヘブライ語を話すユダヤ人グループ、もう一方はヘレニストと呼ばれたギリシャ語を使うグループです。12人の使徒たちは別格と見ていいでしょう。ヘレニストのグループリーダーがステファノで、ルカの記述によれば非の打ち所のない立派な信仰者です。6章には寡婦の世話がきっかけで、七人の霊と知恵に満ちた評判の良い人たちが12使徒によって選び出された記事がありますが、その筆頭がステファノです。5-8節に出て来て、目覚ましい働きをしているフィリポもその七人の中の一人です。12弟子のフィリポではないので間違わないでください。

 さて、ステファノの殉教をきっかけにしてエルサレム教会はユダヤ人たちから大迫害を受けるようになります。エルサレムはユダヤ教の中心地ですから、ユダヤ教サイドから見れば、気にくわない点がたくさんあったでしょう。とりわけギリシャ語を使うヘレニストグループは睨まれたようで、エルサレムに居られなくなり、あちらこちらへ散っていきました。フィリポもエルサレムという働き場を失って、逃れるようにサマリヤの町へ下って行きました。

 この北方のサマリアという地域がまた厄介な土地です。ご存知のように、ユダヤとサマリアの住民との間には古い時代にまで遡る長年の溝がありました。古くはソロモン王死後にイスラエル統一王国が分裂し、ユダ部族が北部諸族から分離した頃まで遡ります。やがて北王国を滅ぼしたアッシリア帝国がサマリア地方に他国民を移住させるという政策を採ったので、サマリアは他民族との混交が起こりました。南のユダから見れば異邦人の地域になったわけです。サマリアの移住民たちはイスラエルの宗教に少しづつ改宗していくのですが、ユダにとっては異邦人の血が入ることは許せなかったのです。

 やがてユダもバビロン捕囚の憂き目に会うわけですが、捕囚後、両者の間には和解を実現しようという試みがなされたこともありました。たとえば、サマリア人たちはエルサレム神殿再興に手を貸そうとしますが、ユダはこれを断ります。その辺りの事情はエズラ記・ネヘミヤ記を読んでみてください。しかし結局サマリア人たちはエルサレムに復興された神殿に対抗して、ゲリジム山に自分たちの神殿を建てましたから、両者の溝は一層深まることになってしまいました。そうした反目がイエスさまの時代にまで続いていたわけですから、何とも不幸な歴史です。

 そのサマリアの町へフィリポは下って行って、『人々にキリストのことを宣べ伝えた』 と5節に記されています。さすが選ばれた七人の一人で、教会員のお世話だけでなく、キリストの教えを伝えることもできたのです。フィリポはこの世的な雑事にも、信仰によってその解決に当たっていたので、信仰を伝える力が増し加えられていた、と言えるでしょう。ルカはそのことを6-8節に、その様子を生き生きと描いています。群衆はフィリポの話を聞いて、彼が行なったしるし、即ち、汚れた霊に取りつかれた人、中風の人、足の不自由な人たちがいやされるという力ある行動と奇跡を見て、こぞって彼の語ることに耳を傾けました。『町の人々は大変喜んだ』 と8節にあります。

 キリスト教の信仰には人をいやす力があります。それは魔術ではないことを、きょう抜かした箇所に記してあるように、ルカははっきり区別して記しています。私たち現代人には、キリストの福音をまず知的に理解しようとする傾向があります。もっと言えば、福音が持ついやしの力を味わう機会を、自ら少なくしていると言えるのではないでしょうか。聖書の信仰は、全存在的なものです。霊と肉とにかかわるものです。キリストの福音が、人にとって、心と体の救いであることが分かった時、人々はサマリアの町の人たちのように、大きな喜びをもって、これを迎え入れるようになります。

 さて、14節以下を見て行きましょう。エルサレムの使徒たちは、サマリアの人々が回心したと聞いて、ペトロとヨハネをサマリアに派遣しています。言うなれば監督のための派遣と言っていいでしょう。ここには使徒言行録全体に流れているエルサレム中心の考え方が現れています。ペトロたちがまず行なったことは、聖霊を受けるために祈ることです。16節にはそうした理由が書かれています。『人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである』。

 ルカがこういうことを記したのは、どうも初期のキリスト教の伝道においては、使徒たちはどこに福音が伝えられても、福音の進展に全般的に監督をする義務があると考えていたからのようです。この時サマリアに派遣されたのはペトロとヨハネの二人ですが、ヨハネのことを振り返って、いろいろ思い出してみてください。同じ著者のルカが福音書の9章52節以下に、ヨハネが兄弟のヤコブと共にイエスさまに向かって口にした言葉を記しています。イエスさま一行が、エルサレムに向かわれる際、サマリア人の村に入った時の出来事です。

 イエスさまがエルサレム目指して進んでおられたので、村人はイエスさまを歓迎しなかった、と書いてあります。その様子を見て、その時ヨハネが兄弟のヤコブと一緒にイエスさまにかけた言葉は、『主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか』。ヨハネたちにはエリヤの故事が頭にあったのかも知れません。イエスさまはこの時、もちろん二人を戒められました。そのヨハネがここではペトロと一緒に、かつてとは違う心構えで監督に出向いたのです。マタイ福音書によれば(10,5)、イエスさまは12人を選ばれた際、禁令を出されています。『異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町へ入ってはならない』。

 この時自ら口にされた禁令をイエスさまは次々に破って行かれ、最終的に復活された時、無制限に地の果てまでも出かけて行って証しせよと、禁令を廃止されていることの意味を、私たちはよく考えなければならないと思います。エルサレムの教会、つまり使徒たちですが、エルサレム教会に承認されて初めて、サマリアの教会も正統的教会となるのだ、という考えが根強くあったのだと思うのです。ここには教会がやがてこの世の組織体として整っていく段階で、後に監督制と呼ばれるような一つの上下管理体制を生み出してゆく起源があるのではないか、と私は感じました。

 ルカは相当エルサレム中心主義あるいは12弟子中心主義に傾いていたのではないかと思うのです。フィリポの働きは目を見張るような立派な活動なのですから、それを監督下に見るといった姿勢にはどうも両手を上げて賛成しかねます。わたしはルカ福音書の素晴らしい点にたくさん教えられていますが、この点はわたしのなりの一つのルカの姿勢に対する批判です。フィリポの宣教の成功は不当に軽視されていると思います。

 それを裏づけるように、二人の使徒の訪問によって生じた出来事が、これまで多くの神学論争のテーマになりました。ペトロとヨハネはサマリアの回心者たちに堅信礼を行なったのだという意見もあります。堅信礼はカトリックや正教会では秘跡の一つです。ルーテル派や聖公会でも執行されますが、簡単に言えば、洗礼を授かった者の上に、聖霊豊かなることを祈る儀式です。日本基督教団では信仰告白式に相当するでしょうか。幼児洗礼を受けた者がこれに与るのが一般的です。

 まあこの箇所だけから教会制度の問題を引き出すのは少々無理な気もします。新約聖書全体では、信じてバプテスマを受ける者は、もちろん神さまの聖霊も受けると考えられていると理解してよいでしょう。私たちはこの記事から、『聖霊を受けよ』 と仰った復活のイエスさまのお言葉に帰ればよいと思います。犬猿の仲であったサマリア人に福音が伝わり、聖霊の付与があった、これは素晴らしい出来事です。私たちにも聖霊が注がれています。聖書をしっかり読み、聖霊に導かれて今週も歩んでまいりましょう。祈ります。


 
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