2019.03.24

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「待望の王」

田中 健三

イザヤ書 11,1-5ローマの信徒への手紙15, 8-12

 イザヤ書は、前8世紀のイザヤ自身に遡る部分と、その後100年から200年後のバビロン捕囚時代以降の編集部分とがあり、編集史的に必ずしも明確に分かっていない箇所が多く含まれています。本日の「エッサイの根から」で始まる11章も研究者の意見は分かれておりますが、おそらくバビロン捕囚時代に最終的にはできたものだと思われます。但しイザヤ時代にしても前6世紀にしても、強国の圧迫の中で戦いに敗北した状況で、正義と平和の未来を切望している箇所であることは間違いありません。そして神のような王による理想的な支配という古代オリエントの影響を受けた可能性のある思想によって、公平な裁きがなされ、不毛な争いがない時がきっと来ることを確信的に述べられています。本日はこの箇所を手掛かりとして受難節に当たって今一度イエスについて思いを馳せたいと存じます。

 イザヤ書11,1-5は具体的にはダビデ王の父エッサイの家系から王が出ることを述べているのですから、ダビデ王朝の復活が念頭にあります。しかし歴史的にはダビデ王朝が復興し、神のような王がユダヤを支配することにはなりませんでした。そういう意味ではこの箇所の願いはストレートには実現されなかったのです。

 ところで新約聖書ではイエスを「ダビデの子」あるいは「王」と呼んでいる箇所が多数あります。「王としてのイエス」という理解です。四福音書もイエスを王として描いていますが、そのような描写は受難物語に特に集中しています。つまり受難物語は「処刑される王」というテーマに貫かれています。ピラトはイエスに「お前はユダヤ人の王なのか」と問い、イエスがユダヤ人の王であるという風評があることを示唆しています。しかし処刑される局面では人々はイエスを嘲笑し、罵倒します。「ユダヤ人の王、万歳」と兵士が侮辱し、宗教的指導者は「王ならばそこから降りて来られるだろう」と磔刑のイエスを罵り、極めつけにイエスの罪状書きは「ユダヤ人の王」なのです。ユダヤ人の王かと思われた人物がこの様はなんだ、という人々の言動がイエスの上に浴びせられます。

 福音書記者の意図は、この「ユダヤ人の王」と侮蔑された人こそが正に「ユダヤ人の王」なのだ、ということです。受難物語には二重のアイロニーが施されています。人々はイエスを侮蔑的な意味で「ユダヤ人の王」と呼ぶが、イエスは本当に「ユダヤ人の王」なのだ、という皮肉です。

 いずれにしてもユダヤ人が長い間待望していた王は、新約聖書によれば嘲りの中で処刑される王だったのです。これは人々の予想とは違ったことでした。一般的な王のように全てに力を振るう人物ではなく、罵倒され殺された者が王だった、という理解です。それと同時に、イザヤ11,1-5で述べられている「主を畏敬する霊に満たされ」「弱い者のために正当な裁きを行う」人物という点では、本質的にはイエスはイザヤ書の願いを継承しています。

 イエスが甦り今もイザヤ書に記されているような王として君臨している、しかしその王は殺された王であり、今もって多くの人に理解されていない。イエスの福音にはこのような逆説性が付随しています。キリスト信徒自身も連綿とこのような逆説的王を仰いできたはずです。そしてその王に従う者も、当然王と同様の逆説性を帯びることにならないでしょうか。キリスト信徒の生涯もストレートな幸福ではなく、思い描いていたのとは異なるしかしより深い意味で願った通りの人生になるというような性格を持つことになるのではないでしょうか。そのような消息を端的に表現している詩があります。ご存じの方もいると思いますが、ニューヨーク大学の壁に記されている「ある兵士の祈り」という詩です。アメリカの南北戦争に従軍したという無名の南軍の兵士による、とされています。原文の英語を少し意訳してみました。

神のために成果を挙げようと神に強さを求めたが
神に従うことを学ぶようにと弱くされた。
少しでも大きなことができるようにと健康を求めたが
善いことができるようにと病気を与えられた。
幸せになるために富を求めたが
賢くなるようにと貧困を授かった。
人々の賞賛を得ようと力を求めたが
神を求めるようにと弱さを与えられた。
人生を楽しむために何でも求めたが
何でも楽しめるような人生を授かった。
求めたものは何も与えられなかったが
願ったことは全てかなった。
私の思いとは違っていたかもしれないが
言葉にならない私の祈りは聞き入れられた。
私は何よりも祝福されたのだ。

 この詩に示されているような逆説性の中で、キリストに従う者は、負け惜しみとしてではなく、痛みを伴いながらもしかし心からの感謝に満たされることになるのです。

 新約聖書はイザヤ書を多く引用しており、この「エッサイの根」の箇所もパウロがローマ15,12で援用しています。そこでは「エッサイの根」から出る者(パウロはキリストを指す)が、異邦人を支配する、と述べられています。つまりイエス・キリストはユダヤ人の王であるだけではなく、異邦人の王でもある、という主張です。これはイザヤ11,10を示唆してパウロの意図の下で引用している所です。異邦人の使徒であるパウロにとって、待望の王はユダヤ人のためにだけ限定された王ではなく、全世界の王であるということは中心的な使信です。救済史の中で、ユダヤ人にとっての究極的王が、異邦の地にあっても、異邦人たちにとっても、そのままの彼らにとっても究極的王である、ということは驚くべき発見だと言ってよいでしょう。

 ところで、ユダヤ人と異邦人に共通の王がいる、ということはパウロにとって、ユダヤ人と異邦人の共存という実践を強力に支持する思想でありました。その王はユダヤ人をも異邦人をも真実によって公平に裁く者であり、両者は互いに王の臣下として、相手を尊重するべきであるからです。王の考えを越権して、相手を裁くことはしてはならない、ということになります。

 現在日本も多様性ということがよく言われるようになりました。現実の日本は、異質な者への寛大さが著しく低く、常に同質性を求められる無言の圧力がかかるような社会であり、多様な者が共存するということが難しい場所です。そのような社会の中で、多様性を認め、しかも自分と違う他者を尊重して共存していくことを可能とする根拠として、「あなたにも、私にも、あの人たちにも共通の王がいる」という思想は一定の役割を果たします。多様な人たちの王という存在はそういう意味で平和と関連していると言えます。

 ところがかつて山折哲雄という学者が主張したところでは、一神教は争いをもたらす宗教であり、多神教は平和をもたらす宗教であり、「八百万の神の国」である日本をいわゆるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教と対峙させました。この主張は一見すると現実に合致するように見えますが、そう簡単には片付けられないと思います。まず多神教は戦争をしないかというと、かつての日本が反証として挙げられます。1945年の敗戦に至るまで日本が如何に戦争にのめりこんでいったことか。

 そして次に一神教は独善的であり、好戦的となる、という主張をどう考えるべきか、ということになります。端的に言うならば、その神をどう理解するかということに因ります。

 つまり、その神を本当に自分たちの王としているのか、それとも実は神を利用して自分達が王となっているのか、という問題です。そして現実の世界において、神を王とせずに、自分達が王となり神を利用していることが多くの悲惨を引き起こしているのではないでしょうか。裁き手である王を仰ぐ時、自分自身をその王の前で相対化されます。反対に自らが王となりしかも神の権威を利用する時、そこに宗教の醜悪性が顕わになります。ここでも問題は「王としての神」ということになると思います。一神教自体が問題なのではなく、人間の真実さが問われます。

 王として主が君臨していると言っても、現実は様々な不正や不真実が大手を振っているではないか、と私達は思ってしまいます。先ほど廣石先生が祈られたように世界には様々な争いが今もあります。日本でも沖縄の人たちが反対している辺野古への軍事基地建設がゴリ押しで進められようとしています。本当に正義の王がいるのだろうか、私達は疑念を抱きます。しかし冬の間は全くその様相が無かった桜の木に、やがて満開の花が咲くように、私達にはっきりとはわからなくとも確かに主の支配があり、それは実は所々で日々明らかになっている。そのことをこの受難節に確認したいと思うのです。

 弱く、不信な私たちに、王の支配は確かである、ということを今一度思い起こさせていただきたく願わずにいられません。4月になると新たな場所や、新たな人との出会いがあるかもしれませんが、どこにあっても王がいる、その王は低い方であり、そして正義の方であり、私たちと共にいてくださる。その王の下で大胆にまた歩き出したいと祈るばかりです。


 
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