2020.03.29

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「多くの人のために」

廣石望

ゼカリヤ書8,18-23マルコによる福音書14,22-25

I

 中国から全世界に広がった新型コロナ・ウィルスの感染拡大の中心は、今やヨーロッパと北米です。しかし東京も、感染経路の不明な陽性反応のケースが増えており、大感染と都市封鎖の可能性について話題にされるようになりました。

 いま最も必要なのは、収入の途を突然に断たれた人たちへの「命」の支援です。「家にいて下さい」という呼びかけは、家賃を払うための現金をいっしょに渡さなければ意味がありません。

 私たちの教会は3月に続き、4月いっぱいも、すべての活動を停止します。この機会を、礼拝とは、また祈りとは何か、そもそも神を崇拝するとはどういうことかを考えるチャンスと捉えたいものです。

 キリスト者は、生活のすべてを通して神を崇拝します。しかし、日本のプロテスタント教会は、主日礼拝への参加をたいへん重んじてきました。なので、礼拝堂に集まれないことはとてもつらいです。いま私たちが学べることのひとつは、神自身と、人間による神崇拝を区別することでしょう。神は、私たちの崇拝がなくても神であり続けます。しかし神の創造行為なしに、私たちはそもそも存在しえず、また信仰にも到達できません。神によって新しく創造された存在となって初めて、私たちは神を崇拝することも――あるいはしないことも――できるようになります。ならば、今は一時的にであれ、主日礼拝という崇拝形式を放棄してでも、そもそも私たちを新しい被造物として創造した神に賛美と祈りを捧げたい。そして、祈りを通して互いにつながりたいと願います。

 今日は、イエスの最後の晩餐の聖句を手がかりに、神との交わりとは何かについてごいっしょに考えましょう。

II

 古代地中海世界では、人々の「交わり」は食事を通してなされました。神殿での犠牲奉献にも、食事式が続くのが通例です。新約聖書で、信仰共同体の食事に言及がある場合、共同の礼拝とワンセットになっているのが通例です。交わりの食卓が、同時に宣教や礼拝の場であったのです。言い換えると、礼拝式の一部である「聖餐式」と、礼拝式から区別された「愛餐会」という理解は、まだありません。なぜでしょうか?――それは当時の世界に、公的な食事式こそが社会的なコミュニケーションの中心的な場である、という文化習慣があったからです。

 福音書の日本語訳で「食事の席に着く」とあるとき、ギリシア語の原語では「横たわる」「(クッションに)もたれかかる」などの動詞が使われます。それは、空腹を満たすために椅子とテーブルに座って、あるいは立ったままで食べる朝食や昼食とは違い、正式の社交としての「晩餐」が、臥台(寝椅子)の上に横たわり、半身になって食べる形式だったからです。

 ちなみに、有名なレオナルド・ダヴィンチの壁画『最後の晩餐』では、椅子に座った参加者たちが、ひとつの長いテーブルを囲んでいますが、これは後の時代の習慣を持ち込んだものです。

 さて、食事式は前半が「晩餐」、そして後半が「宴会」の二部構成でした。その中間に、パイアーンという神々を讃える賛美歌と共に葡萄酒を注ぐ「灌祭」という儀式があります。席順も決まっていました。すなわち、馬蹄型に配置された三つの臥台――ラテン語で「トリークリーニウム」――のうち、左翼に当たるのが招待者側の席、正面奥が主賓たちのため、他方で右翼側の臥台は下級の客たち、つまり庇護民や解放奴隷たち用の席でした。ひとつの臥台に2-3人が横たわりました。人数次第では臥台を追加することもあります。驚かされるのは、参加者の社会ランクに沿って、提供される食事の質にも量にも歴然たる差があったことです。つまり公的な社交の場として、食事式は身分と格の違いを見せつけるための場でもありました。

 ユダヤ教文化も、この「晩餐」と「宴会」の二部から成る、公的な食事式の習慣を共有していました。ただし、民族文化的な特徴がヴァリエーションとして加わります。すなわち、前半の「晩餐」の開始はホスト(家父長)によるパン裂きがあり(日本風に言えば「いただきます!」)、「晩餐」の終わりという意味もかねて、「灌祭」およびパイアーンに代えて、再び招待主である家父長が、葡萄酒の杯を掲げてヤハウェの神に感謝の祈りを捧げました(つまり「ごちそうさま」)。その後に「宴会」が続きます。そして、もちろん参加者はユダヤ人のみであり、ユダヤ教の食物規定が遵守されました。

III

 生前のイエスもまた、ガリラヤ湖周辺のユダヤ人村落を巡り歩いて「神の王国」宣教を行ったさい、このような社交としての食事式に積極的に参加しています。ほとんどの場合、彼は特別な客であっても、招待者ではありません。

 イエスは、自らが参加する共同の食事式に、いま来たらんとする「神の王国」の前夜祭という、非常に独特な意味づけを与えていたようです。

東から西から人々が来て、アブラハムとイサクとヤコブと共に、神の王国(の宴)で横たわるであろう。しかし王国の息子たちは、外の闇に投げ出されるであろう。そこには嘆きと歯ぎしりとがあるであろう。(ルカ13,28-29〔廣石による再構成〕)

 ここで「王国の息子たち」と言われているのは、当時のユダヤ教社会で民族をリードする立場にあった人たちと思われます。したがってイエスが参加した食事式は、お上品な階層からは酷評されました。

ヨハネは来て食べも飲みもしなかった。すると人々は、彼が悪霊をもっていると言う。(他方で)人の子は来て食べて飲んだ。すると人々は言う、「見よ、大食いで大酒飲みの人間だ、徴税人たちや罪人たちの友だ」。(ルカ7,33-34

 「徴税人」や「罪人」は、社会の中のいわば被差別者です。前者は異民族ローマによる支配の末端に位置する強欲な詐欺集団、他方で後者は、われらが神の律法に従って生きることをしない穢れた者どもというわけです。つまりイエスの「神の王国」宣教は、そのような社会的・宗教的な落伍者たちの中に、大きな反響を呼び覚ましました。彼は言います、

じょうぶな者たちは医者を必要としない。病人たちが必要としている。私が来たのは義人たちを招くためでなく、罪人たちを(招くためだ)。(マルコ2,17

 なぜ、イエスは「罪人たち」を招くのでしょうか。近現代的な人道主義や人権思想は、古代人イエスにはありません。彼は人間でなく、神から発想します。イエスは、人間は皆が罪人であり、自力で「神の王国」に入ることは「人間たちにはできない。しかし、神のもとでは違う。神のもとではすべてが可能であるから」と言います(マルコ10,27)。ならば神の全能は、最も無資格な者たちへの癒しや、彼らへの招きを通して、ひときわ鮮やかに示されるのでしょう。

IV

 さて、本日の聖書箇所は、いわゆるイエスの「最後の晩餐」場面です。この場面では、イエス自身が招待者(ホスト)の役割を演じます。

 マルコ福音書は、この場面を「過越祭の食事式」として位置づけ、キリストの血による新しい契約共同体の創設を示唆しているようです。しかしヨハネ福音書が伝える最後の晩餐や、使徒パウロが伝える聖餐伝承と比較すると、詳しいことは省きますが、どうやらイエスが弟子たちと祝った最後の食事式は、過越祭の食事式ではなかった可能性が高そうです。

 しかも、現在マルコ福音書が提示するイエスの発言は、すでに久しく定期的に聖餐式を祝う習慣をもつ初期キリスト教共同体の中で、次第に整えられていったものと見えます。それでも、そうした伝承発展の核に属すると言われているのが、次のイエスの発言です。

アーメン、君たちに私は言う、私はもはや葡萄の実りから決して飲まない、神の王国においてそれを新たに飲む、かの日までは。(25節

 この発言は「杯」の言葉(ごちそうさま)の後に置かれ、それに続く食事式の第二部である「宴会」とも内容的によく符号します。

 この発言でイエスは、私たちの今回の食事式が最後の前夜祭であり、じきに「神の王国」が来て、そこで私たちは本番の宴を祝うことになろう、と約束しています。そこには「東から西から」来る人々が招待客として、また「アブラハムとイサクとヤコブ」たちがホストとして参加していることでしょう。

V

 それに先立つ「晩餐」の結びの部分で、イエスは「杯」に寄せて次のように発言します。

これは、契約(のため)の私の血、多くの者たちのために注がれるそれである。(マルコ14,24

 「契約の血」という表現は、これが生前のイエスに遡るとすれば、出エジプト記24章を受けた表現です。そこでは「契約書の書」が朗読され、シナイ山の麓に祭壇が築かれて犠牲が捧げられ、その血の半分が祭壇に、残りの半分が民に振りかけられ、モーセが「見よ、契約の血である」と宣言します(出エジプト24,4-8を参照)。

 そしてたいへん興味深いことに、モーセと長老たちは、すぐにシナイ山に昇り、神の前で食事をします。

彼らはイスラエルの神を見た。その足の下は青玉の敷石の細工のようで、空そのもののような澄み方だった。イスラエルの子らの主だった者たちに神は手を伸のばさなかった。彼らは、神を視て、食べて飲んだ。(出エジプト記24,10-11、木幡/山我訳)

 足下に「空そのもののように澄んだ」世界が見えるとは、どうやらモーセと長老たちはたんに山の上というより、天上世界にまで昇ったように見えます。だからこそ、天にいます神を見ながら――常識的には神を見た者は死んでしまうのですが――宴を祝います。イエス時代に近いユダヤ教外典文学には、高い山の彼方から、神が審判のために地上に降臨し、義人たちを天へと引き上げ、天上の聖所に植えられた「命の木」の実りから、喜びの食事式を主宰するだろう、という救済イメージも伝えられています(エチオピア語エノク書25章)。

 すると、生前のイエスと、そして彼と共に最後の食事式を祝った弟子たちは、地上で「契約の血」が流される一方で、じきに天上世界では「神の王国」の宴が始まると考えた可能性がありそうです。そして、この宴には「東から西から」すなわち全世界から、民族の境界を超えて多くの異邦人が参加するでしょう。だからこそ、この血は「多くの者のために注ぎ出される」のです。

 イエスの最後の食事式は、最終決定的な救済を全人類にもたらす、天上界の宴としての「神の王国」の到来を告げるものでした。

VI

 以上のような古代人イエスの夢を、現代の私たちは、古代人の宗教的な夢想にすぎないと笑うでしょうか。それでも、私たちに学ぶに値することがいくつかあります。

 第一に、キリスト教徒であろうとなかろうと、私たちが人との交流に生きる存在であることは変わりません。外出を制限するよう要請されて、そのことを痛感します。他方で、そうした交流を通して、私たちはパワーの違いや身分の差その他の差別をも演出します。

 通常の災害以上に、コロナ・ウィルスは人を選びません。しかしウィルスから人をどう守るか、罹患した人たちをどう助けるかについては、差が出ます。生活費を時給で稼いできたのに急に仕事がなくなるだけで何の保証もない、などの社会格差です。 とりわけ文化や芸術そして宗教は、現在いわゆる「不要不急」の最たるものと見なされます。それは、この切迫した状況の下では正しい判断と思います。しかしながら文化や芸術や宗教は私たちの精神活動そのものであり、人間が人間らしく生きていくには欠くことのできないものであることを忘れてはなりません。

 第二に、生前のイエスが実践した「徴税人や罪人」が参加した食事式は、人権その他の人間の現実でなく、「神の王国」の到来という神の現実によって動機づけられています。私たちが神を崇拝するときも、宗教的に見るならば、信教の自由という私の権利が重要なのではなく、救いを貫徹するという神の意志が、私たちによる神崇拝より先にあります。礼拝をする私たちの信仰心が尊いのでなく、そもそも罪人である私たちを義として信仰を与え、それによって礼拝を可能にする神こそが讃えられるべきです。そしてそのことが、礼拝堂における礼拝活動の停止によって妨げられるいわれはありません。

 そして第三に、いわゆるイエスの最後の晩餐が、山の麓(地上)で「流される血」と山上(天上)で祝われる「喜びの宴」、つまり苦難と歓喜という一見して対立する二つの要素がひとつに溶け合っていることです。その深い意味をちゃんと理解することは、きっと至難の業であろうと思います。ひとつだけ感じるのは、新型コロナ・ウィルスがもたらす未曾有の苦しみと悲嘆と不安も、神はその彼方で、喜びの中に包んで下さるだろうという予感です。

 私たちは知恵をつくし、意志を強めて、この危機に立ち向かいましょう。そして、もし倒れても、神の御手に自らを委ねつつ互いのために祈り続けたいと思います。


 
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