2021.02.21

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「罪人を招く」

廣石望

詩編25:1〜11マルコによる福音書 2:13〜17

I

 新型コロナのパンデミックのせいで身内や友人を失った人たち、また収入が激減したり、職を失ったりした人々がおられます。社会の中で孤立してしまうこともあるでしょう。政府や自治体の公的支援が行き届かないところでは、声をかけたり義援金を送ったり、あるいは無料でお弁当を配布するなど、市民レベルの自発的支援が重要です。私たちの教会は非力ですが、そうした活動をするグループにせめて僅かながらも献金を送る予定です。

 他方で、生前のイエスは「罪人」とされる人々と親しく交流しました。彼は、何らかの支援活動をしていたのでしょうか。

 今日は、教会暦でいう受難節の最初の主日です。イエスが殺害された直接的な理由は、対内的には彼がエルサレム神殿の崩壊を預言したこと、また対外的には王権を僭称し、ローマ帝国の支配主権を侮辱したと見なされたことにありそうです。人々からそのように受け止められる行動をイエスがなした原点のひとつに、罪人たちとの親しい交流があったと私は思います。

 罪人を招くイエスの動機は何であり、そのことは私たちに何を意味するでしょうか?

II

 新共同訳聖書が「レビを弟子にする」とひとまとめにする段落は、前半のレビ召命(13-14節)と後半のレビの自宅での食事式(15-17節)に分かれます。

 レビの召命エピソードの前後には、一連の弟子集めのエピソードが配置されています。すでにイエスは、漁師シモンとアンデレ、またゼベダイの子ヤコブとヨハネをリクルートしています(マルコ1:16-20)。後に彼は山に登り、そこで弟子たちの中核集団として「12人」を任命します(3:13-19)。

 レビが座っていたという徴税所はガリラヤ湖の北岸、ヘロデ・アンティパスの領土であるガリラヤと、フィリッポスの領土であるトランス・ヨルダン地域の境界線にあったのでしょう。主として通行税が徴収されたものと思われます。

III

 後半の食事式のエピソードは、「論争的アポフテグマ」という様式に従って造形されています。敵対者との対決場面を通して、古代賢者たちの逸話を伝える様式です。

 レビの自宅での食事式に、イエスと弟子たちが「徴税人や罪人たち」と共に横たわっていたという状況設定が、まずあります(15節――当時の社交的な食事式では、現代のようにテーブルを椅子で囲まず、臥台に半身に横たわって食べました)。続いて、なぜかその場にファリサイ派の律法学者たちが登場し、「なぜ彼(イエス)は徴税人や罪人たちと共に食べるのか」と弟子たちを問い詰めます(16節)。そして最後に真打ちイエスが登場し、「健康な者たちでなく、病弱な者たちが医者を必要とする。義人たちでなく、罪人たちを招くために私は来た」と批判者たちに返答します(17節)。

 イエス時代のユダヤ社会の税金には、国税と宗教税の二種類がありました。国税はヘロデ王家の収入であり、徴税人はその国税徴収の末端に位置する民間人です。王家はそこから、ローマ帝国に貢納金を支払いました。徴税は請負制でした。徴税人はじっさいの落札価格以上を集金して自分の懐に入れるために、民衆から忌み嫌われました。なお紀元6年以降、ユダヤとサマリアはローマ直轄支配に移行していましたので、敵性協力者とも見なされたでしょう。

 他方で、代表的な宗教税である神殿税と十分の一税の徴収は、サドカイ派を中心とするエルサレム神殿の貴族祭司たちの利益に直結します。俗人であるファリサイ派は厳格な律法解釈を提唱し、十分の一税の遵守にも細心の注意を払ったことが知られています。もっとも私たちのエピソードで、彼らの律法学者たちがケチをつけるのは宗教税とは関係ありません。イエスの社交の参加者に「徴税人や罪人たち」のいることが、彼らの気に障ったのです。

 大まかに言えば「罪人」とは、神の掟と信じられたユダヤ教律法に習慣的に背きつつ生活する人々のことです。昔は外国人一般をさしましたが、外国人差別はとうの昔に民族内部に転化され、棄教者はもちろん盗賊やならず者たち、徴税人や娼婦などが代表的な「罪人」として社会的排除の対象でした。病人や身体および精神しょうがいをもつ人々、乞食や伝染病の罹患者たちもそれに近い存在です。

 レビ宅の食事式のエピソードは、イエスによる多数の病気治癒・悪霊祓い・レプラ罹患者との濃厚接触などの物語に囲まれています。そうした人々もまたレビ宅に招かれていたからこそ、「じつに大勢の人がいた」(15節)という印象が浮かんできます。イエスが参加する食事式は、民衆レベルの宗教指導者を自認するファリサイ派から見て、およそ〈招かれざる客たち〉だらけでした。じっさい、次のような当時の悪口が伝えられています。

ヨハネは来て食べも飲みもしなかった。すると人々は、彼が悪霊をもっていると言う。(他方で)人の子は来て食べて飲んだ。すると人々は言う、「見よ、大食いで大酒飲みの人間だ、徴税人たちや罪人たちの友だ」。(ルカ7:33-34

 ファリサイ派の人々から見て、「穢れた」者たちと公的な食事式の座を分かち合うイエスのふるまいは――それはマルコ福音書を生み出したキリスト教共同体にも継承されたことでしょう――、自分たちの重視する清浄性コードに対する挑発、民族の聖性を脅かす危機と、現代風に言えば「反日的」と映ったのではないでしょうか。

IV

 イエスの返答は、「健康な者たちでなく、病弱な者たちが医者を必要とする。義人たちでなく、罪人たちを招くために私は来た」です(17節)。後半の「私は来た」という発言は、イエス自身の言葉というより、原始教団がイエスについて宣言しているのかもしれません。それでもイエスのふるまいを的確に捉えています。

 これを、イエスの別の発言、「父よ、天と地の主よ。あなたは知者たちと賢者たちからこれらのことを隠し、同じことを嬰児たちには啓示した」(ルカ10:21)と組み合わせてみましょう。〈健康な者vs病弱な者〉、〈義人vs罪人〉、そして〈知者や賢者vs嬰児〉という、健康・宗教・知識に関する優者と劣者が対比されています。そして、ことごとく劣者が優先されます。「医者」による治癒、神からの「招待」、また究極的知識の「啓示」は、彼らにこそ約束されます。

 なぜなのでしょうか? 私たちの箇所でイエスは、義人でなく罪人が招かれる理由を説明しません。しかし、次のようなイエスの発言が伝えられています。

東から西から人々が来て、アブラハムとイサクとヤコブと共に、神の王国(の宴)で横たわるであろう。しかし王国の息子たちは、外の闇に投げ出されるであろう。そこには嘆きと歯ぎしりとがあるであろう。(ルカ13:28-29参照)

 「東から西から」来る人々とはおそらく異邦人であり、「王国の息子たち」は正統な民族特権をもっていたはずのユダヤ人たちです。つまり、イエスが宣教した「神の王国」の宴に賓客として招かれるのは、健康・宗教・知識そして民族に関する劣者です。

 このような宗教的ヴィジョンを胸に、地上のイエスは罪人たちを招くことで、じっさいには「神の王国」の宴の前祝いをしています。まさに来たらんとする「神の王国」が、既存の社会秩序に価値の逆転をもたらしたのです。

V

 以上のことは、自発的な弱者支援が望まれる社会的危機の中にある私たちにとって、何を意味しうるでしょうか?

 かつて哲学者フリートリヒ・ニーチェは、キリスト教の「憐み」とは、「力への意志」を存分に発揮できない弱虫たちのルサンチマン(ひがみ/怨み)から生まれたと批判しました。倒錯的な自己満足をえるために自分たちよりも弱い者たちを設定し、彼らが生き生きと生きるのを認めないことで自分を誤魔化しているだけ。キリスト教的「愛」とは、そのルサンチマンが咲かせる最もデリケートな花だというわけです。心の捻じくれた者たちによる、差別の固定化ですね。――しかしながらイエスの動機は、人間本来のヴァイタリティーの否定や現状に対する屈折した怨みなどでなく、神の新しい行動によって世界が一新されるという革命的ヴィジョンした。

 あるいは私たちは「万人の生存権」や「平等原則」などの人権思想にもとづいて、政府や自治体に支援金の支給を求めたり、女性差別に反対して多様性を擁護したりします。――しかしイエスの論拠は人権というよりも神権、つまり王なる神による支配権の正当性です。また最低限の生活保障や尊厳の承認をはるかに超える、大いなる喜びの宴への夢が、彼のモティベーションでした。

 あるいは、デジタル化が加速する社会では成熟した人格よりも、その場のキャラが重視されます。そこでは多少の自己犠牲を伴う支援行為も、その最終的な動機づけが強度の自己愛である可能性があります。自己犠牲の愛も、フォロワー数や「いいね」の数で自分を喜ばせるための、ナルシシズム的な快楽主義の表現でありえます。――しかしながら私には、イエスは「罪人たち」に神の招きを告げて回るのに必死で、遊びに集中する子どものように自分のことは忘れているように見えます。

 アウシュヴィッツで仲間の囚人の身代わりに餓死室に入ったコルベ神父も、その人を救うためとか自分を犠牲して捧げるためという目的にはまったく拘泥せず、ただ我を忘れて隣人を愛した結果、たまたま死を蒙りました。イエスも同じでしょう。

 受難節を迎えて私たちに求められているのは、私たちの生に予期せぬ中断と転換をもたらす神の呼びかけに応えて、――たとえそれが死を蒙ることに終わるとしても――大きな喜びをもって他者を愛することだと思います。


 
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